フェニルプロピオン酸ナンドロロン(NPP、米国名 nandrolone phenpropionate)は、注射用のアナボリックステロイドです。ナンドロロン(19-ノルテストステロン)に短いフェニルプロピオン酸エステルが結合した構造を持っています。Organon社がDurabolinとして販売し、FDA(米国食品医薬品局)は1959年に承認しました。デカン酸ナンドロロン(Deca-Durabolin)の速効型の同族体にあたり、いずれも同じホルモンを放出しますが、NPPは注射部位から約三倍速く放出されます。
現在、米国で承認されているNPP製品はありません。製品がすでに市販されていなかったため、Organon社の要請によりFDAは2018年にDurabolinの承認を取り消しており、米国のジェネリック製剤もすべて販売中止となっています。ヒトでの対照試験エビデンスは乏しく、健康な男性における薬物動態研究が一件あるほかは、小規模で古い臨床試験が数件あるのみです。
このページでは、FDAの記録、薬物動態研究、臨床試験、および規制当局が報告している内容を要約しています。教育目的の情報であり、医療上の助言ではありません。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 薬効分類 | アナボリック・アンドロゲニック・ステロイド、ナンドロロン(19-ノルテストステロン)のエステル |
| ブランド名・承認 | Durabolin(Organon社)、NDA 011891、1959年10月30日承認。複数のANDAによるジェネリック製剤あり |
| 投与経路 | 油性製剤の筋肉内注射 |
| 過去の米国での規格 | 25 mg/mLおよび50 mg/mL |
| 引用したヒト研究での用量 | 用量の記載があるものでは50 mgまたは100 mgの単回注射 |
| 半減期 | 注射部位からの放出半減時間は≈ 2.4日間(同一研究でのデカン酸エステルは≈ 7日間)。遊離ナンドロロンは数時間以内に消失 |
| ナンドロロン含有率 | エステル重量の≈ 67%(エステル100 mg ≈ ナンドロロン67 mg) |
| 米国での位置づけ | 承認製品なし。DurabolinのNDAは2018年9月7日に承認取り消し。スケジュールIII(Schedule III)規制物質 |
| WADAでの位置づけ | 常時禁止(S1.1、アナボリック・アンドロゲニック・ステロイド) |
概要
ナンドロロンは炭素19位のメチル基を持たないテストステロンであり、そのため19-ノルテストステロンとも呼ばれます(Kicman, Br J Pharmacol 2008)。フェニルプロピオン酸エステルの化学式はC₂₇H₃₄O₃、分子量は406.6 g/molです(PubChem)。ナンドロロン自体の分子量は274.4 g/molであるため、エステル一ミリグラムあたりの約67%がナンドロロンに相当します。
エステル自体にはホルモン活性はありません。分子の脂溶性を高めることで、注射後に油性デポ(貯留部位)にしばらく留まるようにする役割を果たします。デポから放出されるとエステルが切り離され、遊離ナンドロロンが放出されます(Minto et al., JPET 1997)。エステルが規定するのは放出速度のみです。
| エステル | 側鎖 | 分子量 | ナンドロロン含有率 |
|---|---|---|---|
| フェニルプロピオン酸エステル(NPP、Durabolin) | 芳香環(ベンゼン環)を含む炭素数9 | 406.6 g/mol | ≈ 67% |
| デカン酸エステル(Deca-Durabolin) | 炭素数10の直鎖 | 428.6 g/mol | ≈ 64% |
ナンドロロンとテストステロンの違い
前立腺や皮膚など、5α-還元酵素を含む組織では、テストステロンはより強力なアンドロゲンであるジヒドロテストステロン(DHT)に変換されます。一方、ナンドロロンは5α-ジヒドロ-19-ノルテストステロンに変換されますが、これはナンドロロンそのものよりもアンドロゲン受容体への結合力が弱くなります。これが、動物実験においてナンドロロンがテストステロンよりも高い筋栄養・アンドロゲン比を示す理由として受け入れられている説明です。またKicmanは、ナンドロロンがある程度のプロゲステロン様(黄体ホルモン様)活性を持つことも指摘しています(Kicman 2008)。
「NPPはマイルドなDecaである」という通説について: インターネット上の情報源では、NPPがより穏やかで「クリーン」な形態のナンドロロンとして紹介され、正確なアナボリック:アンドロゲン比が引用されることがよくあります。しかし、NPPとデカン酸エステルは同じホルモンを放出するため、エステルによって変わるのは作用のタイミングだけであり、作用の種類ではありません。ヒトでの唯一の直接比較研究では、いずれのエステルも100 mgの単回投与によってテストステロンを同じ低値まで低下させました。広く引用されている比率については一次資料をたどることができなかったため、ここでは掲載していません。
薬物動態
公表されている唯一のNPPのヒト薬物動態研究は、健康な若年男性においてデカン酸ナンドロロンと比較したものです。各男性は、ラッカセイ(ピーナッツ)油4 mLに溶解した100 mgを殿筋内に単回注射されました(NPP群7人、デカン酸エステル群6人)(Minto et al., JPET 1997)。著者らは、それ以前にNPPの薬物動態を報告した研究はなかったと記しています。この研究はOrganon社の資金提供を受けて実施されました。
| 測定項目(平均値) | NPP 100 mg | デカン酸エステル 100 mg |
|---|---|---|
| ナンドロロン最高血中濃度到達時間 | 1.0日間 | 5.0日間 |
| ナンドロロン最高血中濃度 | 30.9 nM(≈ 8.5 ng/mL) | 13.5 nM(≈ 3.7 ng/mL) |
| デポからの吸収半減時間 | 2.4日間 | 7.0日間 |
| 平均滞留時間 | 4.5日間 | 10.1日間 |
| ナンドロロンが5 nM以上を維持した日数 | 5.1日間 | 9.4日間 |
| 総曝露量(AUC) | 155 nmol·day/L | 144 nmol·day/L |
これらの数値から三つのことがわかります。
- 立ち上がりが速く、消失も速い: NPPは最高血中濃度が二倍以上高く、約四日早くピークに達し、その後より早く低下しました。研究期間全体の総曝露量は同程度でした。
- 持続時間を決めるのはデポである: いったん放出されると、遊離ナンドロロンは約0.25日間(≈ 6 h)の半減時間で消失しました。一回の投与がどれだけ長く続くかは、ほぼ完全に注射部位からの放出速度に依存しています。
- 血中に到達したのは投与量の一部のみ: 静脈内投与と比較した絶対的バイオアベイラビリティは、同じ条件で投与されたNPPとデカン酸エステルの双方で53–56%でした。
承認されていた医療用途と規制の経緯
FDAは1959年10月30日、新有効成分含有医薬品としてDurabolin(NDA 011891)を承認しました(Drugs@FDA)。Drugs@FDAにはOrganon社およびジェネリック製造業者による25 mg/mLおよび50 mg/mL注射剤が登録されていますが、すべて販売中止(discontinued)となっています。FDAのウェブサイトには添付文書(FDAラベル)の控えが保管されておらず、米国の公式な処方情報文書を確認できなかったため、ここでは添付文書上の用量を記載していません。
米国国立がん研究所(NCI)のSEER医薬品データベースには、NPPが転移性乳がんおよび小児の重度成長遅滞、ならびに慢性消耗性疾患における補助療法として使用されていたことが記載されています(NCI SEER*Rx)。
米国市場から撤退した経緯は以下のとおりです。
- 1999年7月21日: Steris Laboratories社の要請により、製品がすでに市販されていないことを理由として、FDAは同社のジェネリック製剤であるフェニルプロピオン酸ナンドロロン25 mg/mLおよび50 mg/mLの承認を取り消しました(64 FR 33098)。
- 2018年9月7日: FDAはDurabolin(NDA 011891、25および50 mg/mL)の承認を取り消しました。承認保持者であるOrganon USA社が、製品はすでに市販されていないとFDAに伝え、承認取り消しを要請したためです(83 FR 39103)。
いずれの告示でも安全性上の問題は理由として挙げられておらず、販売されなくなった製品の通常の承認整理でした。
研究でわかっていること
NPPのヒトでの対照試験は数が少なく小規模で、大半が数十年前のものです。健康な人において筋肉量や筋力への効果を検証した試験はありません。透析、HIV消耗性症候群、骨粗鬆症などにおけるより多くのナンドロロン臨床試験ではデカン酸エステルが用いられています(詳細はデカン酸ナンドロロンのページを参照)。
乳がん
NPPは女性の転移性乳がんに対するホルモン療法として使用されていました。1968年から1972年にかけて南アフリカで実施された試験では、閉経周辺期の女性がプロピオン酸ドロスタノロン(Masteril)群またはNPP群に割り付けられました(Bennett et al., S Afr Med J 1975)。奏効率は同程度で、ドロスタノロン群が34.5%、NPP群が39%でした。抄録には各群の人数や生存期間は報告されていません。
骨髄不全による貧血
ランダム化二重盲検試験において、骨髄不全による貧血患者を対象にNPPとプラセボが比較されました(Branda et al., Arch Intern Med 1977)。評価可能な患者21人の内訳は、再生不良性貧血が7人、骨髄線維症が6人、不応性貧血が8人でした。
- 6人の患者で改善がみられ、内訳はNPP群が3人、プラセボ群が3人でした。
- 骨髄線維症の患者一人はプラセボのみで劇的に改善し、ヘモグロビン値が5.4から15.8 g/dLへ上昇しました。
- 著者らは、ナンドロロンによる実質的な改善効果は認められないと結論づけ、対照群のない報告では自然寛解を薬物の効果と見誤るおそれがあると警告しました。
手術周術期
二つのランダム化試験で、手術前後にNPPの単回注射が行われました。
| 試験 | 参加者 | レジメン | 主な結果 |
|---|---|---|---|
| Zawilska et al. 1990 | 腹部大手術を受ける40歳超の患者183人 | ヘパリン吸入単独、ヘパリン吸入+NPP 50 mg併用、または標準的なヘパリン注射 | 深部静脈血栓症が16%、7.9%、7.8%。臨床的に重要な出血が1.7%、1.6%、7.8% |
| Pourmand et al., Aging Male 2008 | 開放前立腺摘除術を受ける男性54人、平均年齢70歳 | 術前にNPP 100 mg vs ゴマ油プラセボ | 24 h時点の症状スコアが6.18 vs 9.77(pは0.001未満)、48 h時点で4.48 vs 5.55(p = 0.06) |
血栓症の論文抄録には、ヘパリン吸入にNPPを上乗せすることについての統計学的検定結果が報告されていません。前立腺摘除術の研究はパイロット試験であり、著者らはより大規模な試験の必要性を訴えています。
膝の痛み
膝蓋大腿関節痛(膝のお皿周辺の痛み)に対する薬物療法を調べた2004年のコクランレビューでは、参加者43人の試験が一件見つかりました。筋肉内注射のNPPはプラセボ注射と比較して痛みと機能を改善しました。レビュー著者らは、ナンドロロンのリスクを考慮すると、この用途に対しては「有効かもしれないが、議論の余地が大きすぎる」と結論づけました(Heintjes et al., Cochrane 2004)。
副作用とリスク
大規模試験から得られたNPP特有の安全性データは存在しません。以下に示すリスクは、ヒト薬物動態研究およびアナボリックステロイドというクラス全体について知られている知見に基づくものです。
ホルモン抑制と妊孕性
わずか一回の投与でも、体内の内因性テストステロン産生は強く抑制されます。100 mgのNPP単回注射後、男性のテストステロンは平均17.6 nM(≈ 508 ng/dL)から約5日目に最低値2.3 nM(≈ 66 ng/dL)まで低下しました(Minto et al. 1997)。著者らは、この最低値が去勢男性でみられる1–3 nMに相当することを指摘しています。テストステロンが10 nM未満にとどまった期間は、デカン酸エステル後の11.0日間に対してNPPでは平均5.8日間であり、13日目までにベースラインへ戻りました。NPPによる抑制の深さはデカン酸エステルと同等であり、単回投与での抑制期間が短いのは、ホルモンが放出される期間が短いためだけにすぎません。
この抑制に伴って生じるクラス共通の影響には、精巣萎縮および精子形成障害があります。Kicmanのレビュー論文では、中止後に妊孕性が回復するまで数か月から約一年を要することがあると指摘されています(Kicman 2008)。
女性および小児における男性化徴候
ナンドロロンのアンドロゲン作用が比較的弱いからといって、男性化作用が防げるわけではありません。Kicmanのレビュー論文には、ナンドロロンが女性や小児において男性型多毛症(hirsutism)や、最終的には男性化徴候(virilization)を引き起こすと記載されています。同レビューでは、女性における男性化徴候は不可逆的であり、多毛症も中止後にせいぜい部分的にしか回復しないと説明されています。
アナボリックステロイドのクラス共通リスク
Kicmanのレビュー論文では、アナボリックステロイドというクラス全体のリスクとして以下の点が挙げられています。
- 心筋梗塞や脳卒中のリスクを高めるLDLコレステロールの上昇およびHDLコレステロールの低下
- 主に経口の17α-アルキル化ステロイドと関連する肝毒性(NPPは注射用エステルであり、17α-アルキル化されていない)
- 肝紫斑病(肝臓内に血液の詰まった嚢胞ができる病態)および肝腫瘍のリスク上昇
- 女性化乳房(男性における乳腺組織の増殖)
各リスクの大きさは、性別、用量、および使用期間によって異なります。
法的位置づけと医療目的以外の使用
米国では、連邦法上のアナボリックステロイドの定義にナンドロロンが明記されており、そのエステル類も対象に含まれます(21 U.S.C. 802(41))。アナボリックステロイドおよびその塩、エステル、エーテル類はスケジュールIII(Schedule III)規制物質です(21 CFR 1308.13)。承認された製品が存在しないため、米国で販売されているNPPはすべて正規の医薬品流通網の外から出回っているものです。
スポーツにおいては、2026年のWADA禁止表国際基準(Prohibited List)のS1.1にナンドロロン(19-ノルテストステロン)が明記されており、競技会時および競技会外を問わず常時禁止されています(2026 Prohibited List, Tractatenblad 2026, 25)。
同じ側鎖を持つテストステロンエステルについては、フェニルプロピオン酸テストステロンを参照してください。
要点
- Decaと同じホルモンで、放出が速い: NPPとデカン酸ナンドロロンはいずれもナンドロロンを供給します。注射部位からのNPPの吸収半減時間は約2.4日間であったのに対し、デカン酸エステルは7.0日間でした。
- より高く、より早いピーク: 100 mgの単回投与では約1日で最高血中濃度に達し、そのピーク値はデカン酸エステルの二倍以上でしたが、総曝露量は同程度でした。
- 一回の投与でも強いホルモン抑制が生じる: テストステロンは約5日以内に去勢レベルまで低下し、13日目までに回復しました。
- 臨床エビデンスは乏しい: ヒトでの対照試験データは、乳がん、骨髄不全による貧血、手術、膝の痛みを対象とした小規模な試験が数件あるのみです。骨髄不全の試験ではプラセボに対する優位性は認められませんでした。
- 米国では承認が取り消されている: Durabolinの承認は承認保持者の要請により2018年に取り消されており、NPPは引き続きスケジュールIII規制物質でありスポーツ界でも禁止されています。
出典
- Organon USA Inc. Durabolin (nandrolone phenpropionate) injection, NDA 011891. Drugs@FDA.
- Food and Drug Administration. Merck Sharp & Dohme Corporation, et al.; withdrawal of approval of four new drug applications. Federal Register. August 8, 2018;83:39103 (FR Doc 2018-16982). govinfo.
- Food and Drug Administration. Steris Laboratories, Inc.; withdrawal of approval of 55 abbreviated new drug applications. Federal Register. June 21, 1999;64:33098–33100 (FR Doc 99-15660). govinfo.
- National Cancer Institute. SEER*Rx: Nandrolone phenpropionate. NCI SEER*Rx.
- National Center for Biotechnology Information. Nandrolone phenpropionate, PubChem CID 229455. PubChem.
- Kicman AT. Pharmacology of anabolic steroids. Br J Pharmacol. 2008;154(3):502–521. PubMed.
- Minto CF, Howe C, Wishart S, Conway AJ, Handelsman DJ. Pharmacokinetics and pharmacodynamics of nandrolone esters in oil vehicle: effects of ester, injection site and injection volume. J Pharmacol Exp Ther. 1997;281(1):93–102. PubMed.
- Bennett MB, Helman P, Palmer P. Hormonal therapy of breast cancer with special reference to Masteril therapy. S Afr Med J. 1975;49(49):2036–2040. PubMed.
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